最も基本的な手筋、それはごひいきの棋士を見つけることでしょうか。今時は「推し」と言うのかな。

私はスポーツ観戦(但しジャンルはかなり偏っている)を趣味の一つとしていますが、推しを作るととても捗るんですね。一方で最近の音楽はまるで聴かなくなった。推す気が起きないんです。なんとか48とか、かんとか坂とか、どれもこれも皆、同じ顔をした同じ群舞にしか見えません(笑)。

閑話休題。将棋も「推し」を応援することで、かなりのめり込めるのではないでしょうか。(こじらせて「沼にハマる」ことも)。今は「観る将」のコンテンツも充実しています。対局結果に一喜一憂するもよし、棋譜をコレクションして並べるもよし。このとき、推しの得意戦法と自分が指したい戦法が同じなら理想的かと。学ぶはまねぶ、ですからね。

ちなみに当レッスンの受講者さんたちの推しは、佐々木勇気さん、山崎さん、藤井聡太さん……。将棋でまねをするのは大変かもしれませんね。

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当レッスンも開講から3年経ちました。石の上にも3年。今年はどうか温もりにあずかれますように(笑)。

「上達すると、将棋はもっと楽しい」
「初段になると、将棋の本当の楽しさが分かる」

今年のコラムは、これらをテーマに、私の経験や受講者さんの例も交えて綴ってみたいと思います。

まず一つには、将棋中継を身近に楽しむことができます。テレビやインターネットで中継される棋戦の内容が分かるようになる。初めのうちはちんぷんかんぷんだった将棋用語(符号や将棋特有の専門用語など)が、少しずつ耳に入ってくるようになる。新聞や雑誌、ネットの記事を読むことにも慣れてくる。語学に例えるなら、「将棋語」の理解が深まるとでも言うのでしょうか。

俗に「習うより慣れよ」。でもこれって意外と大変なんですよね。私も囲碁については未だにルールすら知りませんから。やはり一定の興味が湧かない限りは、続けることさえ難しい。何らかのトリガー(きっかけ)が必要かと。続きを次回。

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指し手にその人らしさが表れる。一局の将棋を指すことは、小さな人生を生きることに似ている。将棋の奥行きや広がりには、人間の営みと相通ずるものを感じます。

目的は目の前の戦いに勝利すること。その過程として、小さな人生を自ら設計し、局面を正しく判断し、勇気を持って決断し、個性や創造性を表現していくのでしょう。

小さな自己実現を重ね、勝ったときの喜びは格別です。負けを悟ったときは、おのが不明を認め、頭を下げるまで。命まで取られることはありません。

勝ち負けがはっきりとした、厳しさをともなうゲーム。勝負の神様はときに気まぐれです。まあ二人で指せば、どちらかが勝ってどちらかが負けるもの。「負けたってええやないの、相手の人が喜んでくれてはる」(内藤國雄九段。母上に慰められた言葉とか)

どうせ一度きりの人生。夢と誇りを胸に、自由に思うがままに生きていきたいものです。人生も、そして将棋も(笑)。

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レッスンで初めてお会いする方には、下の簡単な質問票にお答えいただいています。

pdf 質問票 (0.14MB)

大まかな人となりを知る。会話のきっかけにする。その他にも、レッスンの進め方に通ずるものをリストアップしました。

|砲蕕靴機塀らしさ)は将棋と深い関わりがあることは前項までに述べました。「子供の頃はおてんばだった」「道に迷うことが多い」「人にだまされやすい方だ」など

∪格は棋風(将棋の個性)に通ずる。気性や習慣などをおたずねします。「割と早飯だ」「旅行の計画はきちんと立てる」「衝動買いや無駄遣いをして後悔することがある」など

6気方や伝え方、物事の例え方など、お一人お一人により適した方法を探っていきます。「学生の頃は運動部に所属していた」「読書は好きである」「サッカーまたはラグビー、相撲、柔道をよく見る」など

ただ闇雲に聞いているのではありません。当方一応マーケティングプランナーの端くれですので(笑)。

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「レジャー白書2018」によると、国内の将棋人口は700万人。ちなみに囲碁は190万人だとか。

「将棋俳句に碁は短歌」。将棋はルールが簡単で覚えやすく、俳句のように庶民の間で遊ばれた。囲碁はルールが複雑で覚えにくく、短歌のように僧侶や医者など学のある人の間で遊ばれたと言われます。

俳句と短歌の人口比は、将棋と囲碁のそれに似ているとも。昨今将棋と俳句が同じ時期にブームになったことも、何やら不思議な符合に思えます。

私は囲碁より将棋が、短歌より俳句が好き。長いのが、まどろっこしいのが苦手なんです。俳句は5年ほど前にかじった。将棋と似たところがありますね。

17音しかないから、言いたいことの大半は捨てなければならない。将棋もあれこれたくさん手は読むけれど、一度に指せるのは一手だけ。一つを選ぶということは他の可能性を捨てるということです。

一つの俳句に一つの季語。二つあるとこれを「季重なり」という。将棋で言えば……「二歩」ですね。

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